どれが正解か。

2005年9月14日 読書
捨て犬を救う街 / 渡辺 真子

山本君の猫事件から、保健所の現状を知る。

日本では年間に65万匹以上の犬と猫が保健所にやってくる。
正確な数は分からなくて、100万以上いるんじゃないかとも言われている。

その中で飼ってくれる人が見つかる可能性があるのは、
目も開いて手のかからなくなった幼犬くらい。

幼すぎても成熟しすぎても貰い手はつかない。

日に日に死に近づく部屋に移動させられ、
最後はガス室で死ぬ。

利口な犬は実験に使われたりもする。

ガス室で殺すのは、一度にお金をかけずに大量に殺せて、
注射で安楽死させるよりも効率的だからだ。

まるでナチスのユダヤ虐殺だ。

流行にのってアクセサリーを買うような感覚で犬や猫を買い、
飽きたら捨て、
また新しい犬を買う。

生物ではなくモノとしての扱い。

サンフランシスコでは捨てられた犬や猫を守る制度が確立されていて、
殺されてしまうことはほとんどない。

無料で避妊・去勢手術をしたり(日本では1万〜15万)、
命の大切さをちゃんと教えている。

日本は、
しつけとして犬をしかることですら可哀相だと思ってる人がいる。
そんな人は絶対に避妊・去勢手術はしないと思う。

猫の場合、保健所に連れてこられるのは大半が子猫だそうだ。
不要に生まれてしまった。

その結果が見えているならなぜ手術をしない?

可哀相なのは手術をすることか、生まれた命をすぐに殺すことか。
考えれば分かることなのに。

たとえば一匹、避妊手術をしないだけで、
6年間で6万匹、7年間で45万匹の新しい命が誕生する。

たとえばもっと避妊手術が安くて、
もっと認知されれば、
なくなる命も減る。

ガス室だろうが、注射だろうが、
殺すことに変わりはない。

殺すことを少しでも少なくするように制度を変えなくてはいけない。

一時でも大切にしたペットを捨てる人、
ペットに手術をさせなかったために増えてしまった命を保健所に持っていく人、
事実を知っていながら何もしない私、
現実から目をそらす役所、
傍観者の大勢の人たち。

全部に責任がある。

でもだからといってこの制度を変えてやろうと思えるほどの情熱もない。

膨らみすぎてしまったペット産業。

家族の一員になっているペット。

この問題を解決するにはどこが動けばいいの?
民間?
制度を変えるためにも国が動かないといけないと思うけど。


あー、こんな話が書きたかったんじゃない!!

うまく文にすることができない。

例えばゴキブリとか蚊を殺しても罪悪感はない。

それは多分、ペットとして発生したものじゃないから。

犬や猫は、人間に飼われるために、
人間によって大量生産されて、
生産されすぎて余って殺される。

名前も付けられずに死んでゆく。

殺されることを知っていながら、保健所につれてゆく。

犬猫の焼却炉は年中稼動している。

人間は怖いよ。

動物をモノとして扱っている。

うまく書けない。

偽善者ばっかりの日本で、
きっと私も偽善者で、
それなのに、偽善で命を救うことすらできない。

無力じゃないかもしれないのに、私は無力だからと言い訳をする。

でもどうすりゃいいの?
結局自分はそんな人間なんだなと気づかされた。

今頭の中で、
近所の猫屋敷に話をしに行こうかとか、
町会長さん家に行って、まずは地域でそうゆう活動をしてみようと提案しようとか考えたんだけど、
多分私はやらない。

なんだかんだで自分に言い訳をして、やらない。




人間の中には、死にたいと言いながらも死なずに生きている人が大勢いる。

死にたくないのに人間によって殺される動物がたくさんいる。

間違っていると思うのは気のせいではないはず。


なんかあたしは「死」に関することにどうしてもものすごく興味を持ってしまう。

怖いんだと思う。

死の実態を掴もうとしているのかもしれない。

死にたいと思うことがない。

生まれた時から、進化じゃなく老化していき、
死に向かい続けている。

その進行をわざわざ自分で絶つことはない。

いつかちゃんと死ねるんだから。

生きたくても生きられなかった命は動物にも人間にもたくさんある。

あー答えが出せない。
結局何が言いたいんだ?

あー分からんが泣けてきた。

何もできないと言いながら、
救いたいなんて思う。

自分の最悪さに気づいただけ。

それでも生きる。

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